世界文化遺産「精進湖」の湖畔には中道往還と諏訪神社がある
2013-06-05T18:00:14+09:00 2013/06/05
精進湖は富士五湖の中では最も小さい湖です。
しかし、富士五湖の中で最も富士山が綺麗に見える湖とも言われています。
昔は「せの海」と呼ばれていたそうですが、富士登山者が身を清める精進潔斎(じょうじんけっさい)を行ったことで精進湖の名前が付いたと言われます。
精進湖が有名になったのは英国人船乗りの「ハリー・スチュワート・ホイットウォーズ」という人の功績が大きいそうです。
この人は1889年に神奈川県の浦賀に来て、日本のホテルで働いていた際富士山の美しさに魅せられ、富士山が最も美しく見える場所を探し回っていました。
そしてたどり着いたのがこの精進湖。
1895年(明治28年)に湖畔の宇ノ岬(うのさき)という所に外国人専用ホテル「精進ホテル」を建て、英国新聞などを通じて富士山が綺麗に見られる避暑地「ジャパン・ショージ」として富士山と精進湖の美しさを世界に海外に宣伝しました。
その結果多くの外国人観光客が訪れるようになりました。
ホイットウォーズさんは後に日本人の方と結婚し日本国籍を取得します。
「星野芳春」名乗って付近の村人に英語を教え自然保護の重要さも説いたそうです。
1907年に亡くなり経営は残された妻子が引き継ぎますが、1936年に焼失し上野精養軒に経営が移ります。
しかし、避暑地ということもあり夏しか客が来ないため経営が悪化し2008年に富士急行に売却しています。
富士山ビューポイントの一つ「子抱き富士」。
ここから見える富士山は、まるで子どもを抱いているかのように見えることでこの名前で呼ばれます。
湖畔の浜は「他手合浜(たてごうはま)」。富士山に抱かれている山は「大室山」です。
そして大室山の前に広がるのは自殺の名所で知られる「青木ヶ原樹海」。樹海は、富士箱根伊豆国立公園に属し、「富士山原始林及び青木ヶ原樹海」という名称で、国の天然記念物に指定[されています。
湖畔の奥の右側に岬がせり出していますが、その岬の先端付近に「精進ホテル」があります。
ホイットォーズさんはそこから見える景色を「東洋のスイス」と絶賛し海外に紹介したそうです。
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本栖湖から精進湖への行き方
- 標高・・・900m
- 面積・・・0,5k㎡
- 周囲長・・・6.8k
- 最大水深・・・15,2m
本栖湖の出入り口にある139号線の交差点を富士吉田方面に向かいます。
5・6分程行くと左側にに「精進湖」の看板が見えてきます。
この入口以外にもこの先に入口はありますが、本栖湖方面からではここが一番近いところになります。
この入口の手前右側には「精進湖民宿村」があります。
そこは民宿だけが17軒程集まって村のようになっています。
詳細はページ下に掲載してありますのでご覧ください。
ヘラブナやワカサギ、ブラックバス等が釣れる
精進湖は年間通じて魚釣りが楽しめます。
対象魚はブラックバス、ヘラブナ、ワカサギが主流です。
湖畔にはボートを貸している所があちこちにありますので良く釣れるポイントを聞いて見るとよいでしょう。
これは湖の入口付近ですが、ヘラブナの手漕ぎボートやブラックバスのバスボートを時々見かけますね。
精進湖は大型のヘラブナが釣れることで知られています。
冬はワカサギ客で賑わっています。
左下のポイントでもワカサギが釣れるみたいです。
ヘラブナとワカサギは解禁期間があります。
ヘラブナは3月1日~11月30日。ワカサギは11月1日~3月末日です。
入漁料はブラックバスは無料。他は1日600円。
問い合わせ先はページ下に掲載してありますのでご覧ください。
精進湖のキャンプ場
精進湖には2つキャンプ施設があります。
下の写真は湖畔の西側にあるキャンピングコテージ。ここ以外に「湖畔荘キャンプ場」があります。
問い合わせ先はページ下に掲載してありますのでご覧ください。
写真はクリックで拡大します。
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中道往還と諏訪神社
湖畔の東側には集落があります。
湖の周囲で一般の民家があるのはこの一角だけだと思います。
この写真は村の入口にある橋を両側から撮影しています。
川沿いの道が「中道往還」でここを上がるとかなり上まで民家が続いています。
中道往還(なかみちおうかん)とは、甲斐(山梨県)と駿河(静岡県)を結ぶ街道のことです。
この呼び方は山梨県側からの呼び名で静岡側からは甲駿街道や甲州街道と呼ばれます。
中道往還(なかみちおうかん)は、甲斐国(山梨県)と駿河国(静岡県)を結ぶ街道のひとつ。駿州往還(河内路)と若彦路の中間に位置することから「中道」と呼ばれる(『甲斐国志』による)。
引用元・wikipedia:中道往還
途中には周辺の案内図とトレッキングマップ、旧中道往還と諏訪神社、居村集落の説明も記されています。
左の写真が中道往還。集落の奥まで続いています。
右に写真は中道往還の中ほどにある諏訪神社の入口です。
入口には駐車場があるのでここまで車で来ることができます。
中道往還から女坂峠(阿難坂・精進峠)を抜けて甲府方面へぬける道は当時「魚道」と呼ばれ、駿河(静岡)から魚や塩を仕入れていました。
そのため甲斐の武将「武田信玄」はこの地域を重要視していたそうです。
武田信玄の東海方面進出により塩が甲斐の国に入らなくなったとき、宿敵「上杉謙信」が領民の苦しみを見過ごすことができず塩を送ったという話は有名です。
そのときもその道を通って送ったのでしょう。
写真はクリックで拡大します。
諏訪神社
「村社諏訪神社」と刻まれています。
村社とは神社の旧社格の一つで、郷社の下で無格社の上に位置します。
本殿は一間社流造りというもので、天保14年(1843年)に再建しているそうです。
日本昔話に出てきそうな建物です。
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境内にある「精進の大杉」。
国の天然記念物に指定されています。
- 樹齢・・・1200年
- 根元周囲・・・12,6m
- 目通り(地面から1,2m)・・12m
- 樹高・・・40m
小林商店
この住宅はこの辺の村の典型的な住宅として保存されています。
精進の居村(いむら)において近年まで商業を営んでいた数少ない店舗だそうです。
旧渡辺家住宅
この家は建築当初は背が高い兜造りの屋根だったが、後にこのように低い屋根にしました。
これはこの辺では良く見られる傾向らしい。
ここも典型的な住宅として残されています。
石花山・龍泉寺
曹洞宗の寺院。諏訪神社の右側にあります。
「馬山託存」により江戸時代の初期に開かれたと伝えられています。
江戸時代の中期の宝暦年間の大火で全焼した直後に再建されたそうです。