夏休みの子供連れファミリーで賑わう「土肥海水浴場」は西伊豆最大の砂浜
2013-06-26T18:00:09+09:00 2013/06/26
土肥海水浴場は西伊豆の海水浴場で恐らく最大の長さをとなる700mのビーチがあることで知られています。
遠浅の海岸は波も穏やかであり、海岸の至近には温泉旅館やホテルが数多く立ち並んでいます。
この地は大昔(たぶん江戸時代)金の鉱山がありました。
土肥温泉はこの金山開発中に、安楽寺というお寺の境内にあった坑内から温泉が湧き出たのが始まりとなっています。
この源泉は「間部(まぶ)彦平」という人が発見したことに因んで「まぶ湯」と名づけられました。
明治になり、馬場という地区でも井戸水を掘っていたところ又温泉が沸きだしてきました。
これを開発したことで現代の土肥温泉に発展したそうです。
金山のほうは、明治から昭和にかけ佐渡金山に次ぐ日本で2位の産出量があったのですが、1965年についに鉱量枯渇のため閉山になってしまいます。
その後は「土肥金山」として伊豆市指定史跡になり、現在はギネス記録となる世界一の大きさ250kgの金塊の展示や、砂金採りも体験できるテーマパークとして一般公開されています。
土肥海水浴場・メニュー
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土肥海水浴場の場所・行き方
沼津方面から土肥に行くには、海岸沿いの17号線と修善寺から船原峠(土肥峠)の山越えとなる136号線、そして沼津港から高速船ホワイトマリンが出ています。
また、以前は富士市からフェリーが出ていましたが、現在は清水港から駿河湾フェリーが出ています。
船舶を利用する場合はともかくとして、車で行くには途中に用事でもないかぎり山越えの136号線を通ったほうがかなり早く着くことができます。
土肥に入るとの街中に海水浴場への案内標識が出ているのですぐ分かります。
ここを入ると駐車場があり、海岸へは徒歩1分もかかりません。
市営駐車場は何箇所かあるので、ここ以外にも停めることはできます。
ただし、海水浴場に隣接しているこの駐車場は夏休み期間中は有料になります。
海岸に沿うように松原公園がある
かなり長い公園でところどころに歌碑やベンチ、水のみ場等が設けられてます。
右下の「羽衣の松二世木」は、三保と駒越の連合自治会が寄贈したもの。
これは三保の松原にある「羽衣の松」が年老いてしまったことで、穂木を採取して育てられました。
左の「土肥桜」は2月中旬頃に開花する早咲きの桜。色は2種類で白いものとピンクのものがあります。
早咲きの桜は河津桜が有名ですが、これは河津桜より花が小さく釣鐘のように下に垂れています。
12月下旬から2月中旬位と2ヶ月間も見頃が続くというのも特徴です。
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松原公園にある世界一の花時計
恐らく、公園の名前は知らなくても、旅行会社のパンフレット等でこの花時計は知っている人が多いかと思います。
現在も当然現役で動いており、時間によって違う音楽を奏でます。
あまり高くはないですが、時計を見下ろせるように展望所が作られています。
時計の周囲は小石を敷き詰めた「健康歩道・花のこみち」。
敷き詰められている小石の歩道を歩くことによって、足のつぼが刺激されるというものです。
石は敷いてあるエリアによって形と大きさが違います。
それぞれに適した歩きかたがありますので看板の説明を読んでから試してみましょう。
土肥海水浴場はとにかく広い
海岸は奥行き50m、幅900mあるそうです。ここも日本の水浴場88選に選ばれています。
時期になると子供用の温泉プールや漁船に温泉を入れた「土肥温泉丸」が用意されます。そのため、子供には大人気で多くの家族連れで賑わいます。
海の家もありますし、ライフセーバーの監視員も常設されています。
海開き等の詳細はページ下の「詳細情報・関連記事」でご覧ください。
これがプール。
シーズンになると整備され温泉が入れられます。
トイレは海の家以外に4箇所、更衣室(脱衣所)とシャワーは無料のものが3箇所づつ設置されています。
レンタルはパラソルやサマーベッド等があります。
キャンプ、バーベキュー、ジェットスキー等は禁止されています。
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土肥温泉の観光情報
伊豆西海岸最大の花火大会、海上花火大会が8月18日~21日に土肥海岸で行われます。
入場は無料で、20時半から21時までの間に約2000発の花火が打ち上げられます。
花時計の近くには観光案内所があります。
周囲の観光地の情報やパンフレット、交通情報等を教えてもらえます。
レンタサイクルもありますよ。
足湯と特産物販売所
神経痛や筋肉痛、関節痛、冷え性等に効果があるようです。
温度は52度。源泉がそのまま出ています。
2012年にオープンした「土肥特産市」。
ここでは地元の特産品である野菜や干物、果物等が販売されています。
若山牧水の石像
若山牧水の石像は、公園の入口にある橋の袂に海を眺めるように設置されています。
この人は戦前の歌人で、各地を廻る旅が好きで、日本各地に歌碑があります。
その旅の中でも、沼津の千本松原の景観に魅せられ、1920年(大正9年)一家をあげて沼津に移住したそうです。
そのためか「千本浜公園」にも牧水の歌碑が松林の中にあります。