沼津の御用邸記念公園に行ってきた 敷地内の写真や天皇様お墨付きのお土産を紹介
2017-10-16T04:04:43+09:00 2017/10/16
現在、天皇陛下の平常時における宮殿・住居は東京都にあります。
ですが大正天皇が昔、静養のために建てた御用邸が静岡県沼津市にあることはご存知でしょうか?
沼津御用邸は、明治期から昭和中期まで利用され、1893年(明治26年)7月に造営。
敷地面積は約15万㎡に及び、千本松原に連なる広大な松林と駿河湾に面した砂浜の中にあり、北西の方向に富士山が見えるといった、風光明媚な静養にぴったりの静かで自然豊かな場所でした。
しかし1969年に廃止され、現在は沼津御用邸記念公園となり、浜も土で埋まってしまっています。
現在でも市民などの憩いの公園となっており、また海岸沿いを走る国道414号から近く交通の便も良く、市民らからは公園地域共々「御用邸」と呼ばれて親しまれている。
利用情報
- 開園日 - 年末年始を除き「年中無休」、歴史民俗資料館(月曜休館)、東附属邸(庭園のみ見学可)
- 開園時間 - 午前9時~午後4時30分
- 入園・観覧料 - 大人400円、小・中学生200円、団体(30名以上)大人260円、小・中学生130円
- 駐車料金(2時間) - 自家用車無料、バス・マイクロバス1,020円
施設情報
これは、昔の御用邸の模型になります。
そして、これは現在の御用邸の地図です。
戦争時に、焼失したという事もあり、建物などは小さくなっていますが、敷地の面積は当時と変わらないそうです。
ここが入り口になります。
右側の細い入り口からはいって、入園券を買います。
ここには、売店と受付があります。
入園は100円、入園プラス西附属邸入園料は400円です。
今回400円払いました。
西附属邸は、この建物の左側にあります。
この日は、生憎、入り口付近が催しものが近々あるようでテントなどが貼られていて写真が撮れませんでした。
入り口は、靴を脱いで入るようになっていて、玄関にビニール袋が置いてあります。
受付の人に券をみせて入館します。
西附属邸
西附属邸は宮廷建築としては全国的にも貴重な建物で、当時の皇族方の生活の匂いを感じ取ることができる空間となっています。
写真はどこを撮っても問題ないそうです。
ただし、入ってはいけない場所がありますので、看板に従って進みましょう。
ここは、昔の調理場です。
結構天井が高く、広い空間となっています。
こういう家に私も住みたいです。
台所が広い事ではなく、天井が広くて、床が石のところが憧れます。
せめて、天井が高くなくても、床が石で土足で入れる家が理想の家です。
椅子には、天皇家の紋章がついているものもあります。
廊下の柱にも、このように天皇家の印があります。
ですが、天皇陛下が使う廊下のランプは、障子より少し離れたところにあります。
これは、地震や事故でランプが落ちたときに頭に当たらないようにという配慮のもとこういう、設計になったそうです。
天皇陛下のほうのランプは装飾があります。
ここは天皇陛下の寝室です。
見てわかるように、畳の並びが私達の家にあるものと違います。
近くにいた案内人の人に、どうして横一列なのかときいたのですが、わからないそうです。
時代劇等で、お殿様が家来たちを呼び集めるシーンなのでも、畳が横一列だから、その影響があるのかもしれませんと話てくれました。
ここは、湯屋です。
今はどうかしりませんが、昔の天皇陛下はここで召使い数人が変わるがわる、汲んでくるお湯をシャワーのようにして浴びて、体を洗っていたそうです。
お風呂に入ったほうが早いのでは?と思いますが、湯に不順物が入っているといけないという理由があり、このような形になったそうです。
ここが、その湯を汲む場所です。
近いと呼べる距離にはないので、冬などは大変だったと思います。
これは、ビリヤード場です。
最後に、近年で天皇陛下ご子息が訪れた際の写真が廊下に飾ってあります。
近隣の人の話によると、ここ10年以内に天皇陛下のご子息の方が見学?何かで来たそうで、すごい人だかりだったそうです。
皆、ひと目みようと門の前で待っていたそうですが、玄関入り口に置いてあった車に人々が気をとられている間に、裏の道からこっそりと出ていってしまったそうです。
東附属邸
東附属邸は、何かの準備中のためか入れなかったので、御用邸のホームページに載っていた概要だけ載せておきます。
明治期の歴史的建造物である東附属邸は、かつての御学問所としての歴史を引き継ぎ、皆様の交流の場として、文化・教養活動の拠点として改修・整備されたものです。
この東附属邸は、明治期の歴史的建築物に、厨房・水屋・トイレ・空調設備等最小限の改修を施して、茶道、華道、香道、礼法、着付け、和歌、俳句の研修室としてご利用いただくほか、結婚式、写真撮影、お食事会等に利用していただけます。
クロマツ林に囲まれた日本庭園という優れた環境は、来園された方を雅の世界へと誘うでしょう。
喫茶「主馬(しゅめ)」
西附属邸を見終わって、奥に進んでいくと主馬と書かれた看板があります。
主馬となぜ呼ばれているかというと、御用邸時代の主馬(厩舎)を改造し、喫茶と軽食のお店にしたからです。
橋を渡って行きます。
下は、このように川だった事を表すように、模様が描かれた道があります。
店内はこんな感じです。
確かに、厩舎を改装した感じがあります。
そば処
また、5名様以上のお食事や会合の会場としてのご利用も可能です。
庭園内
道を戻り、浜を見に行こうと思います。
冒頭で言いましたが、浜はもう土で埋まってしまっていて、遊泳禁止にもなっているので、綺麗な浜ではないと思います。
天気が曇りという事もあってか、一層浜が暗く見えます。
天気が良ければ、日暮れ時に駿河湾に沈む「だるま夕日」を眺められることがあるそうです。
左側に小さい島が見えるのがわかるでしょうか。
奥のは、伊豆水戸シーパラダイスという水族館です。
そして、手前の島は地元の人たちに西郷島と呼ばている島で、西郷隆盛の弟の別荘があった島なんだそうです。
今日は、生憎の天気で富士山が見れませんでしたが、天気が良ければ浜の後ろの松林から、富士山が見えるそうです。
花暦
沼津御用邸記念公園のホームページに花暦というものがあり、季節ごと咲く花の紹介が乗っています。
季節ごとの花が紹介されているので、興味がある方はぜひ見てください。
9月から10月中旬の花で調べて、探したのですが見つけたのは一つだけでした。
浜の近くでようやく見つけた花です。
磯菊(いそぎく)という花で、関東地方南部から東海地方、伊豆諸島の海岸の砂浜などに生えるキク科、秋に西附属邸苑地の海岸沿い生えています。
その他には、こういう花があります。
萩(はぎ)
秋の七草にも数えられ日本人にはなじみの深い花です。御用邸では本邸苑地防空壕跡の小高い場所に群生します。
浜菊(はまぎく)
日当たりの良い海岸砂丘や崖に生えるキク科の多年草。葉は枝先に集まってヘラ形。秋、西附属邸苑地の海岸沿いにマーガレットに似た清らかで美しい白い花を咲かせます。
お土産
最後にお土産コーナーを見ました。
実は、少し楽しみにしていて、ここのおみやげコーナーにある「天皇への献上品で一番人気」と言われているお菓子があるんです。
それがこれです。
「雪後の春」
1箱 1,250円(8個入り) 650円(4個入り)
皇太子殿下、雅子妃殿下へ御献上 雪を思わせる白い皮は、自然薯の粉を使い、その上には赤い梅肉をあしらった薯蕷(じょうよ)饅頭です。
和菓子がすごく好きってわけでもないのですが、もなかや羊羹、きんつばなどは昔から好きで、特にこし餡の饅頭が好きで、この饅頭がこし餡と知り、興味があったのです。
しっとりとした、生地の中にほんのりろした甘さの餡が入っていて、後味で梅の香りがするので、餡の甘さが重く感じない、緑茶が恋しくなる饅頭でした。
今回、ここに行ってみて、地元民の愛と天皇陛下に対しての信仰心を感じました。
園内を歩いている時に、散歩をしている地元の人に話しかけられ、色々教えてもらいながら園内を回ったのですが、年配の方というのもあるかもしれませんが、この土地が好きなんだろうなぁと。
昔は、綺麗な白い砂浜で海の家が、屋台のように並んで居たのに、今は遊泳禁止になり浜は土で埋められてしまい悲しい何回も言っていました。
今、御用邸を管理しているのは、市ではなく近くに建てられたホテル管理下になってから、雑草のボランティア団体も来なくなり、雑草が伸び放題なんだそうです。
若い私には、まだ昔の思い出の場所が失われていく悲しさについては、ピンと来ませんが悲しいという事は予想できます。
門で見張りをしている管理のおじさんなども定年を超えているが、やめられない、出来る限り守っていきたいと言っていました。
そういうのも、やっぱり若い私にはピンと来ませんが土地を愛するというのは、こういう事をいうのかもしれません。
昔の人は、テレビもなくてラジオもない、アイドルも居ないから天皇陛下がアイドルのような存在で、テレビの光がなくても輝いて見えていたと友人の祖母から聞いたことがあります。
その祖母は、テレビで天皇陛下が映ると目を緩めて、うっとりとした顔で見ていたと友人からききました。
言われてみれば、私も天皇様にあったこともない、話したこともない、敬う理由が個人的にはないのですが、ニュースや生地などで取り上げられていると、目を移してしまいます。
天皇陛下に対する信仰心と敬愛は、細胞レベルで私の中に刻まれているのかもしれません。
この記事を読んで、少しでも御用邸に興味が持たれれば幸いです。