「北口本宮富士浅間神社」から吉田口登山道で「馬返」まで行って見た
2013-09-08T10:00:37+09:00 2013/09/08
「北口本宮富士浅間神社」に立ち寄ったので、せっかくだから吉田口登山道を登ってみることにした。
登って見ると言っても、登山の準備をしてきている訳ではないので車で行ける所までです。。
吉田口登山道はかつて富士講が隆盛を誇っていたころ、他の地域から登る登山者の合計数をも凌ぐと言われるほど多くの道者・富士講信者が使った重要な富士登山道。
今はスバルラインの方に人は集中しているため、この道の方ではあまり人を見かけません。
麓から山頂まで歩いて登れる道は、「須山口」や富士山最古の登山道「村山口」などがあるようですが、これらの道から登るのは実際かなり難しいらしい。
しかし、この吉田口登山道は他の登山道に比べてかなり整備されているため、今でも登山愛好者の間ではそれなりに人気を保っているようです。
もちろん登山道の全区間が富士山の構成資産に含まれており世界文化遺産に登録されています。
吉田口登山道で「馬返」まで・メニュー
- 吉田口登山道の場所・アクセス
- 吉田口遊歩道は途中から整備されている
- 「中の茶屋」が見えてきた
- 「大石茶屋」の跡には無料休憩所があったが・・・
- 終着点「馬返」
- 「大文司屋・明大山荘」は閉まっていた
- 「富士山禊所」の前の鳥居には猿の像があった
- 詳細情報・関連記事
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吉田口登山道の場所・アクセス
吉田口登山道の入口は「北口本宮富士浅間神社」の境内にある諏訪神社を通り過ぎた奥の方にあります。
拝殿から見ると西側の奥になります。
入口には「富士北口登山道本道」と刻まれた道しるべ。
階段を上がると登山道の起点となる「登山門」があります。
登山門のすぐ後ろにあるのは「祖霊社」。
祖霊社とは、祖先の霊を祭るために造られる神棚のこと。
冨士講信者登山の安全を祈願していると言われます。
周辺には富士講が寄贈したと思われる石碑が幾つもありました。
吉田口遊歩道は途中から整備されている
登山門から少し行くと舗装道路と合流します。
ここは既に吉田口登山道ですが、遊歩道はここから暫らく行ったところから始まります。
ここの入口から100m程入ったところが吉田口遊歩道です。
遊歩道入口の向かいに「富士山遭難者慰霊碑」があります。
石碑には「富士に祈る 霊峰冨士山で不慮の事故に会い 尊い命を失った山の友に捧げる」と刻まれています。
これは、平成18年に吉田口旅館組合が富士吉田市に寄贈したものです。
毎年、この慰霊碑の前で富士山安全祈願際と遭難者慰霊祭が行われるそうです。
林の中に造られている「吉田口遊歩道」はこんな感じです。かなり整備されていると思います。
人気が無く閑散としていますが、それがかえって自然を楽しめることになるのかも知れませんよ。
「中の茶屋」が見えてきた
舗装された道から、右に砂利道が分かれています。
その先にあるのが「中の茶屋」。標高は1100mあります。
この茶屋は「遊境(ゆうきょう)」とか「幽境(ゆうきょう)」と言われ、富士山信仰者にとってこの先は富士山の聖域とされていたそうです。
「遊境」・「幽境」はこの世とあの世の境という意味みたいです。
当時の「中の茶屋」の写真がありました。
この案内看板にはこれまでの歴史が紹介されています。
この周りにも富士講の石碑。
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茶屋を過ぎると「ゆうきょうばし」。この橋がはこの世とあの世の境と言う事になるのでしょう。
渡ったところに「馬頭観音」の祠がありました。恐らく富士講信者が祀ったものだと思います。
馬頭観音は馬の守護仏として祀られますが、あらゆる畜生類を救う観音ともされ、六観音としては畜生道を化益する観音とされます。
この先も車で行けますが道は良くありません。
「大石茶屋」の跡には無料休憩所があったが・・・
中の茶屋から大分上がった所に「大石茶屋」の跡が残されています。この辺で標高は1300m。
この茶屋は1922年(大正11年)に開業した山小屋です。
当時の写真も紹介されています。
看板の裏側に石積みやコンクリートの基礎みたいなものがありました。
一部は当時のものではないかと思います。
今は無料休憩所と仮設トイレが茶屋の代わりに設置されています。
ただ、鍵が掛かっていて入れません。これでは休憩所として使えない・・・・
バス停の跡も。
富士講の石碑かと思いましたが「富士塚」を模した石碑群みたいです。
富士塚とは富士山に登れない信仰者が、自分の住む地域に造る富士山の代わりのようなものです。
天然記念物と彫られた石碑がありました。
どうやら道の左側にある柵の内側のレンゲツツジのことを指しているようです。
大石茶屋の主人が育てていたものらしく、五月頃はきれいな花を咲かせるみたいです。
ただ、盗難などで当時より数は減っているそうです。
終着点「馬返」
「馬返」とは、登山路で道が険しくなってきたため、ここまで乗ってきた馬では登ることが困難になり、そこで馬を返して徒歩で登る地点のこと。ここの標高は1450mです。
仮設トイレがありますが、これは6月から10月までの期間だけ設置されています。
たぶん大石茶屋のものも、この期間だけだと思います。
ちなみに、この先は3合目までトイレはないようですからできるだけここで済ましたほうがいいと思いますよ。
バス停がありました。
以前はタクシーかマイカーでしか来れなかったそうですが、今はバスで来ることができます。
駐車場は20台位は停められそうです。
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「大文司屋・明大山荘」は閉まっていた
車を下りて山道を歩いていくと階段の先に山小屋が見えてきます。
ここは「大文司屋」という山小屋ですが現在は営業していません。
今は7月1日から8月31日まで休憩所として富士吉田市が飲料サービスを行っている建物です。
恐らく午後3時頃までは開いていると思いますよ。
この前に階段ですれ違った人たちが閉めに来ていたようですから・・・
「富士山禊所」の前の鳥居には猿の像があった
「馬返」の説明が書かれたものが設置されています。
ここが「馬返」の象徴となる鳥居。
当時はこの奥に禊所があり、そこで身を清めて富士山に入って行きます。
普通鳥居の前は狛犬や獅子ですが、ここは猿の石像。
なんでも、富士山が一夜で湧き出たとされる伝説があるのですが、その年が「庚申(かのえさる)」であったことから、猿が富士山の使いとされているそうです。
鳥居をくぐった正面が禊所です。
説明書きには当時の写真も貼られています。
富士講に関連していそうな石碑もありました。
禊所の左側が登山道。
この日も若者が2人降りてきました。