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静岡県西部の地域情報

博打ファンが神頼みに訪れる遠州森町の「石松の墓」

2015-02-18T17:39:24+09:00 2015/02/18

清水の次郎長は幕末期から明治にかけて存在した侠客。

侠客とは、任侠を建前とした渡世人のことで所謂「ヤクザ」。

ただこの頃のヤクザと呼ばれる人たちの多くは、強気を挫き弱きを助ける事を旨とした、庶民の味方のように伝えられています。

彼は現代の静岡県清水区に生まれ、後に東海道一の親分と言われる程の人物にまでなります。

その生涯はドラマチックで講談や浪曲はもちろんのこと過去に多くのテレビドラマや映画の題材に取り上げられたほど・・・

次郎長には、大政、小政、法印の大五郎、増川の仙右衛門など「清水二十八人衆」という屈強な子分がいたのですが、石松もその1人。

実の所、出身地は三州半原村(愛知県新城市富岡)とも遠州森町村(遠州森町村(静岡県周智郡森町)とも伝えられており定かではないのですが、確実に言えるのは名前の「森」は森町村から付けられているということ。

・・・恐らく所在していた期間があることだけは間違いない事実なのでしょう?!

石松は義理人情に厚く、天真爛漫。

そして大酒飲みの喧嘩好き、博打好きといった現代社会では考えられない破天荒で型破りな性格だったらしい。

「江戸っ子だってね、寿司食いねえ、酒のみねえ」は石松の講談では有名な台詞。

そのさっぱりした気質の一片は時代を超えた今でも少しは伺えるような気がします。

森町には石松の墓が建立されています。

場所は静岡県周智郡森町にある曹洞宗の寺院「大洞院」。

墓石の欠片を持ち帰るとギャンブル運が上がるとして博打好きの人たちの間ではかなり有名。

そのためだんだん削られ続けた結果墓は小さくなり、過去何回か建てかえられています。

今の墓は3代目とのこと。

既にこの墓石も周りが削られているようで、いくらか細くなっているような感じでした。

森の石松の墓

遠州森町の「石松の墓」・メニュー

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大洞院の場所とアクセス

住所は静岡県周智郡森町橘249。地図では下の位置になります。


大きな地図で見る

車で行く場合新東名の「遠州森町スマート」か「森掛川」のICから約2・30分。距離にして8km程度だと思います。

「森掛川IC」は県道に出ると案内標識が出ています。標識は要所要所にあるので迷うことなく行くことができるでしょう。

写真はクリックで拡大。

石松の墓 石松の墓

石松の墓 石松の墓

街中から標識に従い大分山の中に入ると「大洞院」が見えてきます。

駐車場は入口付近にもありますが、石松の墓の付近にも整備されています。

石松の墓 石松の墓

道なりに直進すると「小国神社」や遠州三十三観音霊場の一つ「蓮華寺」、「極楽寺」、「香勝寺」など。

石松の墓


石松の墓は寺の敷地外

石松の墓はやくざであるという理由から寺の門前に建てられています。

ただこれは墓と言うより石碑。右隣は「清水次郎長」の碑。

石松の墓 森の石松の墓

本当のお墓は入口左側の鉄格子の中に保存されています。

これは、参拝者が墓石を削っていくことからこのような処置が施されているようです。

石松の墓 石松の墓

灯篭の中にはパチンコ玉があった。

これで勝てれは誰も苦労しないのだが(笑)。

石松の墓


「大洞院」は紅葉の名所?!

敷地の入口に架っている赤い橋は森町指定文化財の「龍門橋」。

枯れた季節のためかかなり目立ちます。

「大洞院」 「大洞院」

「大洞院」は全国に3400余の末寺を持つ曹洞宗の古刹。

山号は橘谷山。本尊は麻蒔地蔵菩薩。応永年間(1394年 - 1427年)恕仲天誾禅師の開山により創建されたと伝えられています。

広い境内の庭を過ぎ階段を登ると鐘楼堂の周りはモミジやカエデの古木がかなり多く植えられていました(右下)。

秋は紅葉の名所にもなっているかも知れません。

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「大洞院」 「大洞院」

「法堂」。

「大洞院」 「大洞院」

「真殿」。

「大洞院」 「大洞院」

「僧堂」。

「大洞院」 「大洞院」

「御札場」。

「大洞院」 「大洞院」

鐘楼堂の前には石松と次郎長の建て看板があった。

顔ハメではないのですが記念写真用のものだろう。

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「大洞院」 「大洞院」

鎮守堂。

ここは遠州三十三観音霊場の第二札所となっているようです。

「大洞院」 「大洞院」


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