浅間大社の秋祭りは浦安の舞や奉納芸能などの伝統芸能 生花の展示 屋台の競り合い等見どころが満載
2017-11-06T19:13:28+09:00 2017/11/06
先日、富士宮の浅間大社にで秋祭りが行われていたので行ってきました。
この秋祭りは、毎年地元の人々が参加し賑わいます。
今年の出店で、個人的に驚いたのがハンドスピナーの屋台があったことです。
結構いろんな人が買っていくところ見ました。
3日間行われる祭りは、お囃子の競り合いが主です。
ちなみに、競り合いとは、決まった範囲を練り歩いている山車や屋台が出会った時に、お互いに激しく演奏して競い合うもののことをいいます。
この富士宮の秋祭りの競り合いは、結構有名で県外からもカメラを持った人たちきます。
では、まず富士宮秋まつりの概要と歴史から説明していきます。
概要
富士宮まつりは、浅間大社の記録の中で最も古い祭りで、この秋の例祭に、氏子町内が祭り囃子を賑やかに、囃し山車(はやしだし)や屋台を引き回し、富士山の湧水で生活し、また農業・産業を営み等の収穫を、感謝するもので、11月の3日から5日まで行われ、勇壮な競り合いを売り物に21の町内が実施しています。
初日の3日には、浅間大社に宮参りが行われます。
21の町内は拝殿前には入りきれぬために、前後2組に分けて宮参りを行います。
中日には浅間大社周辺に山車・屋台を集結し、共同催事が行われます。
その後山車を移動させて目抜き通り各所において勇壮な競り合いや踊りなどを繰り広げます。
このまつりで囃されるお囃子の富士宮囃子は、平成7年3月に静岡県無形民俗文化財に指定されました。
富士宮まつりでは山車と屋台が引き回されていますが、富士宮型といった定型は特にありませんが、それぞれ個性があります。
歴史
富士宮まつりの公式サイトから引用したものです。
江 戸時代浅間神社の大祭礼は四月と十一月の初申の日と九月十五日でしたが、明治五年十二月三日をもって明治六年一月一日にするという太陰暦から太陽暦への改 暦は全国の祭礼実施に大きな混乱を生じました。
一月近くのずれは季節感を大きく損なうものでしたから、思い悩んだ末に浅間神社は県庁に対し伺いを立て、そ の結果その年の新暦十一月四日が庚申であったことから、その日を大祭と定めることが允許され、今日に至ります。
当時の造り酒屋当主の日記「袖日記」には「家臺」や「ダシ」という記述が見られ、万延元年(西暦1860年)にはすでに引き回しが行われていたことが推察されます。
また天保三年(1832)9月と書かれた咲花の祭典の御通が新たに見つかりました。明治末期に国が青年組織を奨励したことから、大宮町でも大宮青年団が組織され、分団という地域割りがなされ、それが今日の祭り組の原型になりました。
この 分団ごとの対抗意識から後に続々と新しい祭り組が誕生し、蚕糸産業の隆盛による大宮町の拡大の勢いを得て昭和初期には祭りは爛熟期を迎えました。
この時期、静岡県下の花柳界で一番の隆盛を誇ったのが大宮町の花柳界でした。
芸妓置屋を持つ町内は山車には乗せないものの屋台に芸者衆を乗せ三味線や太鼓の入った屋台囃子を囃させ引き回すなど祭りにも新たな囃子が競って取り入れられました。
戦後いち早く祭りは復興されましたが、昭和三十年代後半から五十年代初期まで低迷期が続きました。
この祭の低迷に歯止めをかけようと、昭和四十年十一月四日には文化連盟が音頭をとり、市立公民館で「富士宮ばやし保存発表会」が行われました。
四十一年二 月には保存会が富士宮市長を会長に盛大に発会し、様々な活動を繰り広げ、四十一年八月には富士宮囃子が富士宮市の無形文化財に指定されました。
富士宮ばやし保存会「湧玉会」の遠藤氏、有賀氏をはじめとする方々のご尽力の甲斐あって、昭和五十年代に入って祭りは各町内で再開され徐々に盛り上がり、 各町内の青年達は昭和六十一年秋祭りの後に秋祭り青年協議会を発足させました。
地元の祭りをもっと広く世間に知らせたいという願いで、競り合いを見せ場に 共同の企画を模索しています。
近年山車の新造も相次ぎ、こういった祭りの盛り上がりに刺激されてか、今までの祭り実施区域外からも新たに祭りに参加する区が出てきて、現在二十一の区が秋祭りを実施しています。
その他
お祭りとは関係ないですが、毎年浅間大社境内で、11月2日~11月15日の間「菊花展」、11月3日~11月5日 「華道展」が行われています。
菊は浅間大社境内の楼門内菊舎(境内の奥左側)で行われ、華は浅間大社境内の東西回廊内(境内に入ってすぐ左)で行われています。
雨の日や、風が強い日は中止になるそうなので、晴れてよかったです。
菊がこちらになります。
この作品は、共同作品の菊になります。
次は、大輪菊の個人出品です。
右の角は、盆栽風の菊の展示があります。
盆栽風の菊の展示物に、珍しいものがあったので撮りました。
蜂の巣の剥製?でしょうか、よくみると一匹だけ蜂が添えてあります。
こうやってみると、蜂も可愛くみえてきます。
では、華道に移ります。
よく見ると、和もの(漢字の華)だけでなく、洋もの(漢字がない華)も使われています。
町や、家の垣根に使われるつつじも花材に使われていて、見ていて楽しいです。
母の日によく使われるカーネーションが、バランスよく和物のツボに入っています。
日程と時間割
お祭りの日程と行事の時間の話します。
ちなみに今回私は、こちらの富士宮の公式秋祭りサイト調べてから行ったのですが、ちょっと行事の時間がずれたり、項目が変わったりしていた気がしました。
その日の天候や、行事の進み具合で変わるのかもしれませんので、来年は今回と同じとは限らない可能性があるので、あくまで参考程度に見てください。
11月3日(金・祝)初日
宮まいり、浅間大社 拝殿前、午前9時 。
富士宮市内では3・4・5日の3日間、例祭を祝い附祭り(つけまつり)を行います。
宮参りは、催事の前に浅間大社に参り、無事を祈念するものです。
参拝、囃子(はやし)奉納の後、会所に祀る(まつる)御幣が授与されます。
富士宮祭りに参加する20区が浅間大社に集結し、お祭りの成功を願って参拝を行います。
参拝終了後、市長や役員たちが挨拶をして、富士宮囃子の奉納が始まります。
そして、会所に祀る御幣がそれぞれの町に授与されると宮まいりは終了となり、20区は各町に戻り、御幣を屋台や山車に供えて、お祭りが正式にスタートします。
この宮まいりが始まるまえから、出店などは開いていますので、そっちが目的の方は宮まいり前に来ても大丈夫です。
そして、この宮まいりが終わったあと、舞や伝統芸能を行います。
奉納芸能
調べた時は、この奉納芸能は4日に行うと記載されていたのですが、初日3日に行われました。
お祭りを行う前、雨や台風なので悪天候が続きましたから、もしかしたら早めに行う事になったのかもしれません。
浦安の舞
この浦安の舞は、氏子・崇敬者約200名が集い、雅な装束をつけた乙女が舞う浦安の舞(うらやすのまい)が奉奏されるなど盛大に斎行されます。
舞は、昭和天皇が、昭和8年「朝海(あしたのうみ)」という御題で「天地(あめつち)の神にぞ祈る朝なぎの 海のごとくに波たたぬ世を」御製に、昭和15年を記念して作曲・振付けされたものだそうです。
乙女らが十二単様の装束をつけ、扇・鈴を持って優雅に舞う姿は、平安時代を思わせます。
神刀流 神風館
神刀流、神風館の生徒が、真剣を使って武芸を披露してくれます。
畳を濡らし、丸めたものを真剣で切る様は、ドキとさせられました。
畳の太さがだいたい、成人男性の腕ぐらいの太さで、切った時微かに飛ぶ、水がまるで血しぶきかのようで。
中でも、翡翠切るが見れたのは嬉しかったというか、見てよかったと思いました。
昔、剣道をやっていたのですが、翡翠切りは3回切る技なのですが、なかなか難しく、理由は2回目に切ったものが、倒れる前に切らないといけないからです。
つまりは、空中に浮いているものを素早く切らないといけないし、2回目に切る時に、吹っ飛ばないようにしないといけないのもあります。
それだけでも、見応えありです。
拳聖会
次は拳聖会による、瓦割りや板割り、軟式用バットの回し蹴り割です。
私は、空手はやったことないので詳しい事はわかりませんが、柔道と違って、演舞向きな技が多いのだと今回わかりました。
天間太鼓保存会
ラストは、天間太鼓保存会よる太鼓の演奏です。
私自身が、太鼓の音が苦手なので遠くから聞いていましたが、女性の人たち多いのに、迫力があって、力強く、活気たてられるような演奏でした。
本宮(ほんみや)
16時 (浅間大社 第二駐車場前)
富士宮市内の伝統屋台が、神田通にきます。
これも、4日目に行う行事と調べていたのですが、3日目に行われました。
通常山車や屋台は時間を決めて市内を一堂に回るのは、この時だけです。
夕日に照らされた山車と、バックの朱色に帯びた富士山がいい絵になっています。
一番上に乗っている人は、人形です。
女と男があり、大型の屋台となります。
一同に集まり、お披露目したあと、皆で町を挟んだ輪になり、富士宮音頭や創作踊りなどを踊ります。
4日目(土)
4日目の昼間は、特にこれと言って大きな行事が入っていなかったのですが、一応行ってきました。
やはり、特にこれといって目立った行事はなかったですが、3日目にはなかった出店がありました。
静岡限定の出店です。
記念に食べてみました。
結構、抹茶の味が濃くて甘みが少なかったです。
では、夜祭りの紹介します。
宵祭(夜祭り)時間は18:45~20:00、会場市役所北側駐車場をスタートとして、行われます。
各山車に明かりが灯り、幻想的な雰囲気の中でお囃子の演奏が行われます。
さらに、競り合いが行われている間は、共同踊りも行われ、一番の盛り上がりをみせます。
本宮式典では、20区の山車と屋台が神田通りに集結し、一斉囃子を行います。
この写真は、小さい神輿が、競り合いに向かっている写真です。
基本的には、1対1で行うのですが、時々3区や4区で競り合いが行われることもあります。
この写真は、帰り際に駅で見かけた屋台です。
見慣れた駅のはずなのに、知らない場所のようにみえます。
5日(日)最終日
最終日です。
時間的な、行事はほとんどなく、最後の競り合いがメインとなる日です。
最後に、残った2つの屋台が競り合いをします。
75周年を迎える今年の競り合いの結果は、引き分けで終わりました。
競り合いの締めは、残った2つの神輿の演者による、踊りになります。
左側は、B'zの歌にオリジナルの振り付けた、胸が熱くなるような踊りを披露してくださいました。
右は、歌手はわかりませんでしたが、レゲエ系の曲で、秋なのに南国にきてしまったような雰囲気になりました。
両者が、お互いに見合って礼をして終わります。
天候が不安定の日々が続いていたので、お祭りが開催されるか不安だったのですが、天候もよく、無事にお祭りを見終わる事ができてよかったです。
でも、天候の事があったせいか、去年より海外のお客さんが少なかったように思いました。
ですが、夏に行う祭りと違って熱射病もない、食中毒の心配も少ないという、非常に安全性が高いお祭りな気がします。
個人的な一番のおすすめポイントとして、真剣の武芸です。
刀というものは、日本独自の文化、芸当が編み出した世界に誇る名品ですし、その真剣がみれる機会はあまりあるものではありません。
小中高、大人の剣士の人たちが、それぞれの技をみせるのですが、圧巻でした。
真剣というものを見たこと、持った事ある人にはわかるのですが、とにかく重いんです。
表現しずらい重さといいますか、ただ重いんじゃなくて、容器に入っていない液体のような物を持っている、他のものとは似つかない重さがあるんです。
それを真っ直ぐ振るうなんて、簡単にはできません。
何より、持って、自分の重心がズレないようにするのに、どれだけの修行や時間が必要か。
漫画や映画とかで簡単そうに振っていますが、何度もいうように簡単な事ではありません。
小中高の剣士たちが、真剣を振っていたのもすごかったですが、師範代の人が、真剣を振った時は空間を切った、という感覚が肌に伝わりました。
何かに卓出人たちの技の凄さは、私達と同じ風景が見ていないんじゃないか?とさえ思いました。
最後になりますが、この記事を読んで少しでも富士宮秋のまつり、またお祭りで催さえる伝統芸能に興味がでた方は、足を運んでくだされば幸いです。
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