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針供養の際に針を豆腐に刺す理由 建国記念日と紀元祭の違いと主なイベント内容

2018-02-13T21:14:53+09:00 2018/02/13

10月あたりから、月々のイベントがずっと続きますが、2月ってそんな大きなイベントはないって思われがちです。

2月の前の1月がお正月をもっているからっていうのもありますが、とにかく目立たないです。

バレンタインデーも最近の若い子は、あんまり祝わなくなってきてると耳にしました。

ですが、実は2月は日本人にとって大事なイベントがあるんです。

節分も、もちろん大事ですが、針供養と建国記念日があります。

休日の建国記念日は皆さん知っていると思います。

でも、針供養って何?って言う人が大半だと思います。

意味を知ったら、クリスマスやハロウィンより大事な行事っていう事がわかります。

では、針供養の説明をします。

針供養とは

 

もともとは、中国の「社日(土地神の祭日)に針線(針と糸、針仕事)を止む」という古い慣わしがあり、それが日本に伝わったとされているが、確かな事実は不明。

ただ、もともと日本にあった行事ではない事は確かである。

平安時代に清和天皇によって針供養の堂が法輪寺に建立されたとされて、全国に広まる。

その前までは、ごく一部の地域にしか針供養はなかった。

そして、この起源には様々な説があり、一概にこれが伝承の話とは言えないそうです。

主に何をするか

主に、折れ、曲がり、錆びなどによって、使えなくなった縫い針を供養し、近くの神社に納めます。

各地の社寺で行われいて、有名なのが淡島神社(粟島神社)または淡島神を祀る堂(淡島堂・粟島堂)がある寺院です。

針をコンニャク、または豆腐に刺し供養します。

そして、なぜ針を豆腐やコンニャクに指すのかというと、今まで長い間沢山の硬い生地に差し込まれて、針さんも辛かったろう。最後は柔らかい物の中で成仏してくださいという意味があります。

近所で針供養をやっている神社にいってみた

実際に近所で、針供養をやっている神社に行ってみました。

それは、ここ浅間大社。

浅間大社の写真

2月8日午前10時から開始。

浅間大社の本殿とふれあい広場内針塚で執り行われ、折れたり使い古した針を柔らかい豆腐などにさして供養すると共に、裁縫等の上達を願います。

写真の豆腐が針供養に使われる豆腐です。

当日は、市内の和裁、洋裁の関係者、俳句関係者等が参列のもと、本殿にて祭典執行、その後、ふれあい広場の一角にある針塚にて針納式を行います。

針供養の豆腐の写真

浅間大社の針供養祭は、昭和49年(2月8日)富士宮市和裁教師会の佐野育子さんの発願により針塚を建立、祭典を行ったのが始まりです。

針塚の写真

当初は、和裁教師会の主催で行っていましたが、平成6年、針子等の減少等により継続が困難となった為、神社の恒例祭典として継承しています。

針供養の式典の写真

また、例年、針供養祭奉賛俳句会が開催されており、有志約50名が針供養を題材に句を詠み競います。
この日に奉納される吊し雛も年々彩りを増し、新しい風物詩となっています。

関係者様のあいさつの中で気になった挨拶があったので記載します。

元々は、針が無くては私達の生活は成り立たなかったもので、神様からの贈り物のように扱ってきました。
針は、服を作るのに必要不可欠な存在です。
服が無ければ、仕事も出来ないし、人との交流、外に出れません。
近年は、服があるのが当たり前になり、針を扱う人も減り、感謝などする人はいません。

それよりも、因果関係のないネットの中の人に感謝したりしてます。

今の情報化社会にこそ、針供養のような伝統行事が広がってほしいです。

この、因果関係のないネットの中の人に感謝したりしますっていうところにぐっときました。

風が吹いたら桶屋が儲かるって話を思い出します。

紀元祭

針供養ともう一つ、あまり知られていない、紀元祭というものがあります。

知っている人は、知っていて、知らない人は知らない行事です。

針供養よりは、知名度があるでしょう。

神武天皇が即位された日を建国の日として祝う祭典です。

祭典では、富士宮市和漢会による国旗・吟詠の奉納がされ、祭典後、楼門前にて国旗掲揚式が行われます。

日付は2月11日。1873年(明治6年)に定められ、1948年(昭和23年)に占領軍 (GHQ)の意向で廃止されてしまい、一気に知名度が下がります。

かつての祝祭日の中の四大節の一つとも言われていました。

この2月11日の日付は、日本書紀で神武天皇が即位したとされる紀元前660年(神武天皇元年)1月1日 (旧暦)の月日を、明治に入り新暦に換算したものである。

紀元節廃止の後は復活の動きが高まり、1966年(昭和41年)に、2月11日は「建国記念の日」として国民の祝日となりました。

つまり、今の建国記念日の前の名称みたいなものですね。

ただ、現在の歴史学では、考古学上の確証がないことや、古事記や日本書紀のその神話的な内容から、神武天皇が実在した人物かも含めて、その筋書きをそのままの正しい記述であるとは限らないとされています。

つまり、建国記念日が紀元祭なのかとは確かではないという事です。

針供養といい、案外記念日ってちゃんとしたものってわけではないのかも。

概要

先程説明したとおり、2月11日が建国記念の日、別名紀元祭です。

神社によっては、今でも紀元祭という名称で、建国記念日にお祭りが行われています。

紀元という言葉は、建国最初の年という意味です。

日本が建国したのは、神武天皇(じんむてんのう)が即位された年の事です。

天皇なくして、日本は成り立ってない事になり、だからこそ日本の紀元の日を祭(まつる)という事で最初は紀元祭と言われていました。

実はあまり知られていませんが、日本の建国は西暦+660年ですから、世界一長く続いている国なんです。

島国であり、鎖国していたかいがあって、他国との争いもなかったですから、建国するのも早かったのでしょう。

また、紀元祭はこういう意味もあります。

神武天皇による日本建国を偲び、我が日本の永遠の繁栄と日本を初めとする世界の恒久平和を祈る祭典。

硬い感じがしますが、日本を始めとする世界の平和を願うというのは、日本が中心と思っているともとれますが、他の国が平和であることは、繋がって日本の平和にもつながるともとれる文です。

私は、後者の解釈です。

お祭りでは何をするのか?

お祭りっていうと、出店がいっぱい出ていて、締めに踊るイメージがあると思いますが、この紀元祭は、そういう事はなく、祭りというよりは儀式です。

神様に向かって厳かに執り行われるものなので、ぶっちゃけ、そういう目立った事もないからあんまり知名度がない気がします。

祭りの内容

儀式の内容は神社どこも基本同じプログラムになっていますが、規模は異なります。

大体、基本的なプログラムはこんな感じです。

  1. 宮司さんによる祝詞
  2. 神職さん方のお供え物配膳
  3. 巫女さんによる神楽
  4. 宮司さんとともに参拝
  5. 宮司さんのありがたいお言葉

宮司とは、ぐうじと読み、神社で祭事をする職の者をいいます。

規模といえば、イベントがある神社ではこんな催しものをやる神社があります。

空手、剣道、蹴鞠(けまり)、ブラスバンド、神輿などの奉納を行っている神社もあるそうです。

こういうイベントを行う目的は、神仏を楽しませるために、芸能や競技を行うんだそうです。

神様が居たとして、ブラスバンドには驚くでしょうね。

だいたいこういうイベントが行わるのは、栄えている町が多いです。

京都や東京などです。

東京の明治神宮の大学のブラスバンド演奏は有名だそうで、毎年多くの人が来るんだとか。

近所の神社に行ってみました

うちの近所の神社でも、紀元祭を行っているとの事で行ってみました。

浅間大社の写真

浅間大社では、こじんまりとした感じでした。

いつもと違うのは、旗が出ている事ぐらいでしょうか。

でも、いつもの日曜日のよりは参拝者が多い気がします。

それと、浅間大社は有料駐車場があるのですが、お参りにきた人は30分無料にしてくれます。

針供養のあった日は、針供養の参拝者は無料になっていました。

最後に

行事って、今の世の中では、盛り上がったモン勝ちみたいなとこがあると思います。

そうすれば、知名度はあがるけど、本来の意味や祭りの歴史なんかは、知られず流れ作業みたいになってしまって、なんのお祭りなのかもわかんないものになってしまったり。

でも、時代の流れにのらないと、時間に埋もれて行事自体がなくなってしまう。

うまく折り合いをつけて、いくのは簡単ではなく、時間もかかります。

この記事を読んで、少しでも針供養や紀元祭に興味が出たら、神社に足を運んでください。

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