世界文化遺産「御師住宅(旧外川家住宅)」は吉田口登山道の側にある
2013-05-30T18:00:21+09:00 2013/05/30
御師住宅の「御師(おし・おんし)」とは神社の参拝者の世話をする人。
富士信者の宿泊や参拝の世話や指導等を行った人たちのことです。
上吉田の町は吉田口登山道へ続く通り沿いに「金鳥居」があり、そこから両側に5・60軒(最盛期には86軒・江戸時代)の御師住宅が立ち並んでいます。
御師住宅とは御師が富士信者のために自宅を宿泊所にしていた民宿のようなものです。
今でも町のあちこちには家の入口に印となる石の柱でできた門が残されています。
上吉田のこの通りは、金鳥居から「下宿」「中宿」「上宿」に区分され、この外川家は下宿の上の東側に位置したこの辺では最も古い御師住宅です。
平成23年6月20に重要文化財に指定されています。
建物は奥行き80間(約145・5m)もある敷地に長く建てられており、母屋と裏座敷の2棟で構成されています。
これは大正13年頃のの外川家の様子です。
御師住宅(旧外川家住宅)・メニュー
- 「御師住宅(旧外川家住宅)」への行き方
- 「御師住宅(旧外川家住宅)」の開館時間と観覧料
- 住宅の前には禊ぎを行った川や富士講の石碑等がある
- 係りの人が案内してくれる
- 住宅内には富士講に因んだものがものが数多く展示されている
- 御師住宅(旧外川家住宅)の間取り・設備と裏庭
- 台所と囲炉裏
- 関連記事・参照サイト
スポンサーリンク
「御師住宅(旧外川家住宅)」への行き方
現在の住所は富士吉田市上吉田3-14-8。
中央自動車道河口湖ICから10~15分程度で行く事ができます。
中央自動車道河口湖ICを降りると139号線です。そこから山中湖方面にしばらく行くと「上宿」の交差点が見えてきます。
ここを左折します。
しばらく行くと道路沿いの右側に外川住宅が見えてきます。
入口にはのぼりと開館時間が書かれた看板があるのですぐ分かります。
車は向かいに臨時駐車場があるので無料で停められます。
敷地の入口に駐車場を作っています。
「御師住宅(旧外川家住宅)」の開館時間と観覧料
- 開館時間・・・午前9時30分~午後5時(入館は4時30分迄)
- 観覧料・・・大人100円(80円)小中高生50円(40円)・()内は20名以上の団体料金
- 休館日・・・平成25年5月~8月末まで全日開館
近くに「歴史民族資料館」があります。
そちらを先に観覧すると無料で外川家住宅を観覧することができます。
また、後から資料館に行くときは外川家住宅のチケットを受付に出すと、その分だけ割引されます。
住宅の前には禊ぎを行った川や富士講の石碑等がある
門の前には石碑。
これらの石碑は恐らく富士講のものでしょう。
外川住宅の施設案内が記された看板も立てられています。
表札は新しくなっています。
門を入ると大きなけやき。
その側には禊(みそぎ)を行った川が今でも流れています。
スポンサーリンク
係りの人が案内してくれる
敷地はうなぎの寝床のように奥に長いので庭は普通の広さです。
左側に受付があります。
ここにいる係りの人が無料で住宅内を案内してくれます。
ちなみにこの日はおじさんとおばさんがいました。
住宅内には富士講に因んだものがものが数多く展示されている
主家は18世紀の後半明治5年(1768年)に建造されたそうです。
出入口は3つあり、「式台玄関(しきだいげんかん)」から入り観覧することになります。
この式台玄関は、式台と呼ばれる玄関と土間の段差が大きい時に設置される板があるもので、その昔武家屋敷に訪問した人が地面に降りなくても籠に乗れるように作られたものです。
脇には登山の時使われる「金剛杖」が置かれています。
住宅内は各部屋には富士講に因んだものが壁や畳の上に数多く展示されています。
写真はクリックすると拡大されます。
食行身禄(じきぎょう みろく)の像。
食行身禄とは富士講を広めた指導者のこと。本名は伊藤伊兵衛(いとう いへい)。
格が高い客間には、丸鉄講社の講印が記された「釘隠し」があしらわれています。
神前の間にも「食行身禄」の像が祭られています。
肝心の御神前はピンボケしてしまいました・・・残念
スポンサーリンク
御師住宅(旧外川家住宅)の間取り・設備と裏庭
家はかなりの広さです。
係りの人によると最盛期には百人位は宿泊したそうです。
ピンボケしていますが、入るといきなり3つの部屋が繋がっています。
この3つの部屋の左側と奥にも部屋が幾つかありますから、当時としてはかなりの広さです。
奥には中庭があります。
裏座敷に繋がる廊下にはトイレが設置されています。
トイレの中はこんなかんじ。
恐らく改装されていますので今でも使えます。
写真はクリックすると拡大されます。
奥座敷の横側はかなり広い廊下。雨戸も当時のままに収められています。
奥の庭のようなスペースには御稲荷様が祭られています。
御神木にしているような木もあります。
座敷の左側には収納スペース。
奥にある机を開けてみると当時の時刻表が貼られていました。
昭和8年11月の電車の時刻表。
「富士山麓電気鉄道株式会社」現在の富士急行のものです。
富士山麓電気鉄道株式会社は1926年9月18日に設立され、1960年に富士急行に改称しています。
画像はクリックで拡大されます。
スポンサーリンク
柱にはかなり昔のポスターらしきものが今も残されていました。
今も昔もモデルはきれいな女性ですね・・・
天井の梁の太さは尋常ではありません。
これなら後世にも残るはずです。
富士山に関する資料も販売されていますので、この機会に勉強されてはいかがですか。
台所と囲炉裏
当時使用された御膳が展示されています。
その奥は昔は台所になっていたそうですが、今は受付です。
画像はクリックで拡大されます。
おちょこには丸鉄講社の「丸鉄」の文字。
丸鉄講社とは山梨県都留市にある着物の丸鉄と言われる「株式会社・丸鉄」のこと。
今でも使えそうな囲炉裏にはお約束の自在鍵。
吊るされているのはおそらく「南部鉄瓶」でしょう。