「富士吉田市歴史民族博物館」には壇蜜に似た人形があった
2013-06-01T18:00:43+09:00 2013/06/01
御師住宅を見た後は是非「歴史民族博物館」の館内へも立ち寄ってみましょう。
この博物館では富士信仰を支えた御師についての資料が豊富に展示されていますし、富士講がどのように富士信仰と関わってきたのかが分かると思います。
須走の富士浅間神社境内にあった「御鎮座千二百年記念資料館」でも富士信仰についての資料は数多く展示されています。
そのため、既にそちらを見てきた人には興味が半減するかもしれません。
しかしこの博物館は富士信仰関連のみならず、富士吉田の歴史や地域を支えた地場産業、日々の暮らしや祭りといった民族資料も展示されているのです。
また、敷地内には、県・市指定の文化財である昔の民家が当時のままに復元されていますので、そちらも覗いて見るとけっこう面白いと思いますよ。
博物館内に展示されていた機織り人形。
グラビアモデルや女優、タレントとして活躍している「壇蜜」に似ていると思うのは私だけだろうか?
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指定文化財「旧宮下住宅」・「旧武藤住宅」内のナレーターは藤岡弘?
御師住宅の反対側のほうに行くと、県指定文化財の「旧宮下家住宅」と「旧武藤家住宅」が当時のままの藁葺き屋根で復元されています。
中に入るとセンサーが反応して、家の歴史や産業についてのナレーションが始まります。
しばらく聞いていると何処かで聞き覚えがある声!・・・たぶん仮面ライダー1号で知られる「藤岡弘、」!?
ちなみに今は改名しており、名前の最後に「、」が付きます。
「旧武藤家住宅」
これは「武藤家」です。
江戸末期時期のものをもとに復元したそうです。
写真はクリックで拡大されます。
「旧宮下家住宅」
こちらが宮下家。
18世紀(江戸時代)初期の姿をほぼ確実に復元しているそうです。
写真はクリックで拡大されます。
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博物館の中は4つのゾーンに分かれている。
博物館の内部は「富士山の信仰」「地域をささえた産業」「富士吉田の歩み」「日々の暮らしと祭り」といった4つのゾーンに分かれています。
そしてそれぞれのゾーンで、当時の歴史を物語る貴重な資料が数多く展示されています。
「富士山の信仰」
ここでは、北口から登った富士信仰の人たちを支えた御師の資料や富士講の資料などが展示されています。
登山者と御師の人形。
千葉県の丸不二高瀬講社が奉納した神殿。
中には祭神「木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)」が安置されています。
当時の登山の写真や使用されていたもの。
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「地域をささえた産業」
地場産業の郡内織物が紹介されています。
「郡内(ぐんない)」とは山梨県の都留郡一帯(大月市・富士吉田市・都留市・上野原市・南都留郡・北都留郡)を指す地域の呼び名です。
富士山の火山灰土や高冷地という厳しい環境下において、繭の生産に着目し絹織物で発展しました。
ここでは江戸時代から現代までが紹介されています。
「富士吉田の歩み」
富士吉田市は富士山の噴火で甚大な被害が出た地域です。
このコーナーでは、溶岩で覆われた大地の開発の足跡や、大昔この地方が海の底であったことを証明するものや現在までの流れが展示されています。
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「日々の暮らしと祭り」
ここでは、日々の労働と祭りについて紹介しています。
水掛け麦などの農耕や食生活などの日常生活と、晴れの行事としての「小正月行事」や「火祭り」「流鏑馬」等に関連したものが展示されています。
「新徴組(しんちょうぐみ)」とは、江戸時代後期の文久2年(1862年)に結成された、江戸幕府による警備組織のことらしい。取締責任者は高橋泥舟と山岡鉄太郎。
「蒼龍隊」はこんな人たちのことです。
近代国家の幕開けである明治維新は、武家から朝廷への政権移行を果たします。明治元年(1868)、鳥羽・伏見の争いの後、討幕軍東下の報が伝わると、上吉田の御師団有志は錦旗を奉じて討幕のため出動する盟約を行い官軍としての公認を受け、蒼龍隊と命名しました。
引用元・歴史民族博物館近現代
2Fは展望台になっていた
2階もあります。
上ってみると望遠鏡が設置されており、天気が良い日は富士山を見渡すことができます。
富士山の写真も数多く展示されていました。