世界文化遺産「須山浅間神社」は、かなり分かりにくい場所にある
2013-05-23T18:00:37+09:00 2013/05/23
須山浅間神社は古くからある富士山登山道の一つ「須山口」の入口にある浅間神社。
正式には「富士山南口下宮須山浅間神社」となるらしい。
今でも毎年7月1日には山開きが行われ、多くの登山愛好者が開山式に参加しています。
江戸時代は、長谷川角行が創唱した宗教「冨士講」の信者の増加とともに登山者も増え、須山口もかなりの賑わいを見せたそうです。
このとき、登山道の起点にある須山浅間神社は、下宮として訪れる人たちに崇め敬われていました。
しかし、歴史上最後の富士山大噴火となる「宝永大噴火」があった1707年(宝永4年)に、この須山口登山道も崩壊したのです。
その後何年もかけて復興工事を進めていき、完全復興したのは1776年(安永9年)。
その後かなりの登山者が訪れたのですが、御殿場口登山道ができると又衰退の一途をたどりました。
平成に入りこの登山道が改めて見直されだしてきたことで今は登山者も増え、平成11年には下山道も開通し現在に至ります。
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須山浅間神社への行き方
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須山神社には、御殿場から行く方法以外では、十里木方面から469号線を下りていく方法と裾野市内から24号線を登っていく方法があります。
高速道路を使うときは、東名高速の「裾野IC」で下りることになります。
どちらから行ったとしても、「須山」の交差点を曲がります。
24号線から登って行くと右折。
469号線から行くと左折です。
しばらく真っ直ぐ行くと左側に「荻田産業」という会社の看板が見えてきます。
よく見るとここに左折する道があります。
浅間神社の案内看板みたいなものはこの付近にありませんし、細い道なのでうっかりすると通り過ぎてしまいそうですが、ここを左折するのです。
ちなみに、御殿場からは自衛隊の演習場を過ぎた付近に入口があります。
少し走ると右側に赤い橋と、なにやら神社の鳥居らしきものが見えてきます。
橋まで来ると下に浅間神社の鳥居があります。
今まで廻った浅間神社の中では、広い道からかなり入った所にあるので始めて行く人はかなり分かりにくいと思います。
橋を渡り少し行くと左側に駐車場が見えてきますから、そこに車を停めることができます。
須山浅間神社の御祭神
須山浅間神社の鎮座地(住所)は静岡県裾野市須山柳沢722。
御祭神の主神と配神は以下のようになります。
- 主神・・・「木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメ)」
- 配神・・・「天津彦火瓊瓊杵命(あまつひこほににぎのみこと)」「大山祇命(おおやまづみのみこと)」「天津彦火々出見命(あまつひこほほでみのみこと)」「天熊大人命(あまくまうしのみこと)」
「御祭神」とはこの神社に祭られている神。
主神とは幾つか祭られている神のうち中心ととなる神。配神は主神以外の神のことです。
「木花開耶姫命」は人穴浅間神社にも祭られていましたが、「天照大神」の孫の妻のことで、古事記や日本書紀に登場する女神です。
「天津彦火瓊瓊杵命」は天照大神の孫(天孫)「ニギギ」。木花開耶姫命の夫になる皇統直系の神のことだと思います。
「天津彦火々出見命」は、天津彦火瓊瓊杵命と木花開耶姫命の間に生まれた三男のこと。日本の初代天皇である「神武天皇」の祖父です。
「天熊大人命」とは日本神話に出てくる食べ物の神(女神)「保食神(うけもちのかみ)」へ、天照大神が送ったの二人目の使者のことをいうのだと思います?!
一人目の使者は、「月夜見尊(つきよみ)」という天照大神の弟神で、このとき「保食神」は陸を向いて口から米飯を吐き出し、海を向いて口から魚を吐き出し、山を向いて口から獣を吐き出し、その吐き出したもので「月夜見尊」をもてなしたそうです。当然のことながら「月夜見尊」は怒って「保食神」を斬ってしまいました。
これを知った天照大神は怒り、「月夜見尊」と決別しました。
この出来事が原因で太陽と月は別々に出るようになり、夜と昼とができたそうです。
二人目の使者は「天熊人」。
この人がここでいう「天熊大人命」のことだと思います。
この人が天照大神の指示で「保食神」の死体を見に行くと、屍の頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれてきました。
それを持ち帰ると、天照大神は大変喜び民が生きていくための食物の種としたそうです。
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新築されている須山浅間神社
入口付近に歌が彫られた石碑が建てられています。
これは室町時代の京都聖護院の住職「道興准后」の歌で、ここを訪れた際に「よそにみし ふしのしら雪 けふ分ぬ 心のみちを 神にまかせて」という歌を残しています。この人は歌人としても知られています。
鳥居を入ると階段両側には立派な狛犬。
廻りは樹齢数百年の杉に囲まれています。
杉の300~500年、御神木に指定されています。
現在須山浅間神社は、拝殿と弊殿・覆い殿が新しくなっています。
1年半かけて拝殿が新築、他は補修をしたみたいです。
賽銭箱の上に置かれている樹齢500年の御神木の枝。
境内にある碑。
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入口にある御神木の年輪
駐車場のほうから入ると右側に弊殿らしき建物があります。
ここには御神木の切り株が展示されており、ここまで至る歴史が貼られています。
「関が原の戦い」「宝永の大噴火」や「徳川家光や徳川家康の死んだ年」「明治維新」「日露戦争」「太平洋戦争」等が記されています。
大木の年輪で歴史を表すとは面白い展示方法ですね。
社務所やトイレも新しくなっているようです。
紅葉狩りもできる
神社の前の川と入口付近に大きな紅葉の木が何本も生えています。
恐らく人為的に植えられたものが育ったと思われますが、秋の紅葉の時期はきれいだと思いますよ。
参照先・関連記事
- 須山浅間神社(wikipedia)